近況など

こんばんは、すっかり秋の夜の堂谷木工です。

更新頻度が落ちていまして、すみません。なんとか生きています。

現在は広葉樹でペン立て(抽斗付き)を製作しています、今週か来週頭には完成しますので、またアップさせていただきます。

広葉樹で作られた家具なり小物は、やはり人気があるようです。クリア塗装だけでも、木の持つ色味や雰囲気だけで、お部屋に一つあるだけでも少し嬉しくなる気持ち、よくわかります。実際私の作る木工品なんぞは、ゲテモノでありますが、木の雰囲気によってかなり救われているようなもので、『木の魅力を十二分に引き出すことが出来る、まさに職人の心~』みたいな方とは真逆の存在です。自分がもし、一デザイナーだったならば、自分の仕事で生きていくことは困難だったと思います。まだ自分が考えたものを、自分の手でなんとか形にできるという部分において、なんとか生きている、そう思います。

年末に向けて、ご注文いただいています家具を形にすることが、今年最後の大きな仕事になりそうです。11月12月は、春に向けての家具系の動きも活発になるようですので、11月以降は家具に注力する前に、今は小物を作っておこうと思った次第です。しかしながら、家具系を作るにあたっての、自分の中のスタンダード素材となる樹木をどうするか悩み、先月、松を使ってみて結構気に入りましたので、松をメインにしていこうと考えています。しかしながら、家具用材となりそうな松の、安定的な確保に課題があり、材料屋さんを探すのに苦労しています。都心部での木工において、無垢材の仕入れ先がやはり遠くにあるということは不利ではあります。

小物のアイデア出しは、本当に苦労します。家具よりもアイデアが出てこないんです。『良いものってなんだろな?』っていう結論に至ります。それでもこのペン立ては、言ってしまえば『ただのペン立てだろ?』ですが、構想して試作して、自分が実際使ってみて、「いけそうだな」という感じで進み、それなりに構想から時間が経過していますが、温めていたアイデアの一つです。

ヒノキの小幅板を使って作るレトロ家具シリーズも、また来年から再開したいですし、ウレタン塗装したヒノキの小家具シリーズも、今月小棚をリリースしましたが、どうしてもウレタン塗装は単価が上がってしまいます。基材がヒノキで着色ウレタン塗装というアベコベ加減もありますが、あまり芳しくないシリーズです。『ヒノキの小割り板をベースに作れるモノ』という出発点自体が、製作するアイテムの発想の段階ですでに大コケしているのかもしれません。それでも、ヒノキの着色ウレタンの仕上がりは、一度実物を見て頂ければ、純粋に『綺麗だな』と思っていただけるだけの存在感は出ていると思います。その魅力(や、その木製品自体の需要)と価格が上手く処理されていない部分が、受け入れられない理由ではないかと思っています。

勉強するべきことが山ほどありまして、不努力な自分のツケでもありますが、結局は目の前の課題一つ一つをどのようにクリアするか、それが積み重なって次につながる。それが全てなんだと思います。つまりは、どれ一つ逃げることも出来ませんし、無責任な行動をすれば、必ず自分に還ってくるということで、毎日戦々恐々です。

それでは、またペン立てが完成しましたらアップします。

 

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製作品ページを更新しました

こんばんは、堂谷木工です。

年末に向けて、家具のご注文を頂きました。本当にありがとうございます。年内にお納めする方向で調整をしていきます。

隙間時間で、自分の製作品をまた一つ増やしました。ヒノキの多用途小棚が仲間入りしました。またしても小家具です。レトロ家具もまた作りたくなってきましたが、どうにもこうにも時間とお金という資源がいつも乏しいです。乏しいのか、貧しいのか、いや、その両方です。つまり貧乏です。貧乏暇ナッシング状態です。

今回の棚にしたって、特筆すべきものなどありませんが、手間だけはかかっています。それと、少しずつ木工が上手くなってきたような気がします。勘所が付いてきたというか。まぁしかし、作るモンが冴えなければ意味なしですけど。駄作を世に問うことを僕は止めません、決して。

今日も東大阪の極めて小さな木工所は、それでも前を向いて製作品を生み出しています。自分が生きている限りは、誰かの役に立つ『買って良かったわコレ』と言ってもらえるモノを世に送り出したい、ただそれだけです。それに伴ってお金が付いてきてくれれば、もっと夢が大きくできるのに。自分の力量でしか、風船は膨らますことはできません。大きく膨らませた分だけ、空高く浮上することもできるかもしれませんが、小さな風船でもいいから、萎まない努力を続けて、より長く飛行できる事の方が僕にとっては大事です。

職人の仕事は、一生かけて成す大事業であると感じます。完成形が無いんですから。

それではまた。

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ご注文の品物が完成しました

こんばんは、堂谷木工製作所です。

8月中頃から手掛けていた注文をお受けした仕事が本日終わり、26日に納品します。

 

滑り台です。滑り面と本体は分解できます。ラジアータパイン集成材。

子供用テーブル。750×750ミリ、高さ270です。折り畳み脚(金物使用)。ラジアータパインを使っています。

応接室の細長テーブルとベンチ、丸スツールです。3点ともアカマツ材を使用。

テーブル寸法は、横幅1185ミリ、奥行き445、高さ720。

ベンチは横幅900ミリ、奥行300ミリ、高さ400。

丸スツールは座面φ260、高さ400。

ボックス収納棚(棚板可動式)とコートハンガー、角スツールです。

角スツールは材料が余ったので試作品です。

ボックス棚は横幅450ミリ、奥行290、高さ870。ラジアータ松集成材と桧使用。

コートハンガーは高さ1570、台座直径(最大幅)φ420。枝フックは8本です。材料は姫小松です。フレグランスのような香りの松で、松と言っても木目が大人しく、切削研磨性に優れ、狂いにくい素材だそうです。松系の中では別格というか、桧に近い硬さや触覚のよう。(枝フックのみアカマツを使用しました。アカマツの方が粘り気があって折れにくいと感じたため。)コートハンガーは台座と幹が組み立て分解ができます。

角スツールは座面250×250ミリ、高さ400。アカマツ。

 

8点の制作、シンプルな構造ながらも、松系素材を本格的に使用してその感触を確認できました。構造的には、滑り台やハンガーラックなどは、構造上の問題や制作方法を検討し、乗り越えました。

テーブルやスツール、ベンチ、コートハンガーは、松という素材が使えるかどうか(ヤニを心配していましたが、ベイマツのような露骨なヤニが滴るような状況は無いですが、経年観察はしていかないといけません)、実験と検証を行えたのでよかったです。強度もあり、何より粘りがあるので脚モノにも良く、木目の良さは思っていたとおりでしたので満足です。ただ、アカマツに結構干割れが結構入っていました。板材のねじれはやはり強く、ただ、平面出ししてハギ合わせなどすれば、それ以上ねじれるような感じではなさそうです。広葉樹ほどの高級感や緻密さは出せないかもしれませんが、家具としてやんわりとした温かみと木目の男らしさが、家具材として十分使えると感じました。また、松と言ってもヤニ分の多いもの、少ないもの、オレンジ色の強いもの、赤色の強いものなどの個体差もあって面白く、今回初めて姫小松を使ってみましたが、木目は大人しく、松としては上品な表情が出せる(箱モノなどにも使えそうです。アカマツよりも断然価格は高いと思いますが。)

来月からは松を本格的に使った、オリジナル家具の製作品に着手したいと思います。組立、分解可能としながらも、チャチっぽくなく構造面でしっかりしたものを作るために、積極的に挑戦していこうと思います。

今日で全て完成したので、少し気が楽になりました。

それでは、また。

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災害が起きるたびに思うこと

平成30年北海道胆振東部地震に被災されました方々に、お見舞い申し上げます。

関西地方も先日の台風21号で大きな被害が出たが、電力供給が止まると立ちどころに生活に支障をきたす社会に、脆さを感じざるを得ない。今回の北海道胆振東部地震においても、道内の大規模な停電になるなど、災害時の混乱として挙げられる重大な問題であると感じる。

木工屋の自分自身に置き換えて考えてみても、電力供給なしに木工はほぼ不可能である。木工工作機械を使わない方法であればできないことも無いが、「不可能に近い」状態である。

確実に迫りつつあるであろう南海トラフ地震のことを考えると、自身の身の安全を考えても恐ろしいが、機械類がダメージを受けた時、業務を再開することは厳しい状況になる。ここ1~2年で何らかの大災害が東大阪で発生した場合、当工房はまずもって数年間は業務再開は不可能だと思う。ゼロから再出発するにあたり、マイナスにすらなってしまう状況から、まずはゼロ地点までこぎ着けるだけでも時間を要する。

最近は身近に起きる災害もそうだが、大規模な災害を目にすることで、とても危機感を強くしている。経済的余裕がない状況の中であっても、災害に備えて発電機やエンジンチェーンソーなどが欲しいと思う。燃料ありきでそれらが活躍するのだろうが、もし自分の工房が倒壊すれば、棟続きの隣の業種もその隣の業種も被災する。木工屋はモノを形作る仕事であるが、災害がもし仮に起きた時、倒れた家屋の下敷きになって苦しむ人を救う手立ても道具も何もできない状態で、ただ誰かの救援を待つしかない状況というのは、耐えがたいものがある。

豪雨災害や、今年の夏の酷暑も、考えようによっては災害である。熱中症患者は昨年よりも大幅に増え、暑すぎて経済活動にも影響が出るような状況を、ただのニュースのネタとして取り上げられることに危機感すら感じる。あと10年もすれば、7月8月は生命に危険な暑さとなるかもしれない。

現代の人間の生活様式が、今なお地球環境に負荷を掛け続けていること、わが国が直接それに加担していないとしても、木工屋として身近に感じるのは海外木材に高依存している現状や、何の疑いも無く日々使用使用したり目にしているプラスチックごみやレジ袋、安価に販売供給されているコピー用紙など、「その原料はどこでどうやって製造されていますか?」「使用後どのように廃棄されていますか?」「どれだけ環境負荷がかかっていますか?」ということを考えることも無く、ごく当たり前に店頭で販売され、ネットで販売され、使用されている。熱帯雨林を切り開いてパルプ生産に適した樹種のみのプランテーションとなった、多様性を失った人工林から作られるパルプ、以前として熱帯雨林を伐採してパルプ原料として用いられる現状もあることを、WWFの記事で知った。

環境問題と気象災害は背中合わせの関係であると思う。地震災害においても、エネルギーに依存した生活以外に、バックアップ手段を持たない現代人の生活様式に危機感を感じる。「電力供給の復旧を待つしかない」という受け身を強いられる状況に、何かバックアップの手段はないものかと考えたりする。地域ごとに小規模発電の手段を持つことはやはり必要ではないかとも考える。

経済性優位の考え方が、地球環境に明らかに良くない影響を及ぼしていて、そのツケが跳ね返りつつあることをもっと感じなければならないし、何か一つでも自分にできることをやっていかなくてはいけないとも思う。

ではまた。

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制作など

こんばんは、堂谷木工です。

滑り台の依頼を受けていて、今作っている。滑走面の側板が太すぎる感じだが、小学生入学前のお子様たちに酷使されることを考えると、逆に足回りの方が細い印象で若干心配になってくる。

左右の側脚の角度が面倒くさいが、難しい制作ではない。ただ、全く気分が乗らない。昨日あたりからやっとエンジンがかかってきた感じ。

二度と作りたくない…。しかし、これも家具である。求められれば、作れるのであれば作ってあげるしかない。確かに、市販の樹脂製の原色滑り台のおもちゃよりはずっと良い。ただ、ウレタン仕上げにするつもりである。一応大入れの仕口を切って組んである。ただ今回は、ビスを数本打って補強した。何度も言うが、子供の遊び方は、大人の想像をはるかに超える荒っぽさであろう。この先何年使われるかわからないが、頑丈にはしておきたい。

8月も終わろうとしている。9月も以来の仕事をして、10月も少しだけ依頼の仕事をしたら、年末に向けて家具をバンバン作りたい。お仕事頂けるのは有り難い事であるが、堂谷木工の製品の制作が全くできないので心は複雑である。安定した収入よりも、自分の製作品をもっともっと出していくことを、少しでも早く進めたいからだ。しかし、依頼の仕事は勉強になる。

それではまた。

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材料の話など

こんばんは、堂谷木工です。

今は依頼を受けている家具などを製作中です。実用本位の現場で使われる什器的な家具にはラジアータパイン集成材を用いて、応接用家具には日本のアカマツを用います。先日アカマツを買いに、大阪の北部の製材所まで行って仕入れてきました。帰宅後計算すると、立米15万ぐらいでした。

木工を始める以前から、マツの木目が結構好きでした。ホームセンターで販売している角材などの松はベイマツ(正式名称ではないと思いますが)赤い色が強烈な感じですが、日本のアカマツは樹皮こそ赤いものの、材木自体はほんのりとオレンジがかった明るいさわやかな色で、木目も大人しいです。

今回、マツを本格的に使ってみるのですが、心配な事も多くあります。東大阪の当工房は、湿度が低めで、特に2階はカラッカラです。汚い話で恐縮ですが、当工房のトイレは2階にありまして、便器内の水量が蒸発してすぐに水位低下します。(漏れてはいません。)購入先の製材所は山のふもとで、丁度小川が流れる谷合にあり、材料は乾燥していると言ってもかなり水分多めだと思います。松を先日購入して少しでもシーズニングしておこうと思って2階に上げておいたら、購入時よりネジレ、干割れが増幅していました。困った感じです。松はネジレが強い木です。カラマツほどではないですが、アカマツも割れが出やすいようです。板モノ家具でマツの幅広で薄めの板は、ネジレを念頭に置いて制作しなければならないようです。それに、ヤニがどれだけ出てくるのか。施主さんのところでヤニ噴出地獄となるようだと、これは問題ですが、木材の脱脂はすべきはないと思います。開き直りではないですが、ヤニが出るのが普通と言いますか、健全と言いますか…。ゴニョゴニョとヤニ止めシーラー等を用いて塗装しなくても、使い続ければヤニがいい具合に家具のツヤを出して飴色になると思うのです。

当工房の方針として、なるべく国産木材(この国に生えている木)を使ってつくる事をモットーとしています。国内で安定して広葉樹を入手することが難しい(地方の小さな材木屋さんや製材所には、まだ蓄材があると思いますが、安定して確保できるかどうかはわかりません。)一軒一軒訪ねて回ることも大変です。(しかし、それをやっていこう、とも思っています。)国内大手の無垢材を用いた家具メーカーでは、材料集めは結構シビアになってきているはずです。海外からの輸入木材の価格も上がってきているはずですし、海外の輸出規制もあります。されど良材は年々世界レベルで減少しているはずですから、価格は上がっても質の落ちた材料を使わなければならい時代になりつつあります。

当工房が年に使用する木材なんて、2立米にも及びませんが、材料の確保は最近の課題です。杉や桧を活用していく方法は、なんとなくまとまってきましたが、やはりテーブルトップなどの硬質材料を欲しい場合、ちょっと力不足です。マツだとネジレやワレやヤニの問題はありますが、曲げには強いですし、脚モノにも使えます。そんな経緯で、マツを積極的に使っていこうかと思っています。年内に資金があればいいのですが、一度長野県や山梨県などの、カラマツの産地に出向いて、マツを取り扱う製材所に行こうかと思っています。そこで現場の声を聴く、これが一番です。長野県では戦後、カラマツの植林が盛んに行われたようで、今ごろ結構大径木の材料が出ているようです。上手く使うのは難しい材料のようですが、カラマツはアカマツ以上に木目がはっきりとして荒々しい雰囲気のようで、ぜひ使ってみたいです。

木材にもブームがあります。近年はブラックウォルナットでしょうか。もともと蓄材量の少ない樹種ですから、あと10年もすればブームがどうなるかわかりませんが、枯渇気味になるでしょう。確かにブラックウォルナットで作られた家具はカッコイイとは思いますが、僕はたぶん今後、使わないと思います。価格が高いとかよりも、使いたくない。日本人にとっての主食がお米であるように、日本人にとっての馴染みある木を使ってやっぱり作りたいです。国内消費の木材の70%ほどを輸入に頼っている日本、森林の多い国でありながら、矛盾した話です。流行りすたりで使われる木と、それで作られた家具がかわいそうとすら思います。まぁでも、個人の考え方は様々ですから。

その流行り廃りの『廃り』気味の木と言えば、欅でしょうか。欅の家具と聞くと、頭の中でどうしても座卓とか和家具がイメージとして出てきます。かわいそうに、流行りでもてはやされた反面か、今は敬遠されているなんて。先日訪れた針葉樹中心のその製材所にも、欅はたくさんありました。当工房は欅もバンバン使っていこうかと思っています。というのも、小さな製材所や材木店で在庫が結構あると思います。和チックになるかどうかは、木目の使い方次第ではないかと思います。欅の木目に合う形があるはずなんです。当方、欅も結構好きです。制作中は欅の研磨粉などを吸い込むとクシャミがひどいですが、あの香りは結構好きです。

お金ができれば、まず材料を買う。何においても材料が無いと話になりませんからね。超一流の材料は当木工所では使えないですが、扱いにくい素材などをどんどん活用できればと思います。来年は販売活動を増やしながら、各地の製材所巡りをしたいなぁと思います。

ではまた。

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生み出すこと

涼しさの中に感じる寂しさが好きです。

こんばんは、堂谷木工です。

涼しい初秋の空気に、若干身体が置いてきぼりのようです。気まぐれな天候に振り回される人間。

最近の工房では、小抽斗を終えてしばらく図面引きをずーっとやっていました。今日から依頼を受けているお仕事を開始しましたが、イマイチ調子が上がりません。身体がダルイです。

自分の製作品は、もう何度図面を引き直したことやら。ある程度パターン化した家具を考えていて、ローボードやロングデスクなど、4点ほど図面を書き溜めましたが、4点のコンセプトが全くボヤけてまとまらず、イジリにイジっていましたが、『きちんとした構造とサッパリした見た目』を意識しつつ、スタイリッシュなものを(どっちみちそんなものを生み出すセンスはありませんが)狙いすぎると、受け入れられにくいと思い、その辺のさじ加減で苦労しました。

結局、部材の太さとか棚位置とかデザイン云々をいじくりまわしても、何も魅力のあるものは生まれないんだなぁと痛感したこの数日。明確な『こういうモノを作るんだ!』という、ゆるぎない強い想いがあれば、部材が5ミリ太かろうが面が2分だろうが4分だろうが大した問題ではないような気がします。もちろん、見た目の印象は結構変わってくるのですが、そういう問題ではないような気がします、木製品の魅力って。

人間本来のその人の持つ魅力が人を引き付けるように、カネにモノ言わせて人をひきつけたり、着飾っても無意味なのと同じだと思うのです。美人、カワイイ、カッコイイ、ブサイク、ダサい。僕も20代半ばまでぐらいは、そういう見た目にすごくこだわっていた気がします。もちろん見た目が良いに越したことはありませんが、中身の無い、何も感じられない美しいもの、カッコイイものに対する虚しさや残念さを感じるようになってきました。とか言いつつも、自分自身も未だに美しさの奴隷から抜けられないですが、徐々に『そうじゃない、内面から湧き出してくるものを形にすることの重要さ』を意識するように、少しだけなってきました。しかし、これはとてつもなく難しく苦しい作業だと思います。自分に絶えず問い続けることになります。究極的には、『なぜ作るのか?』という、カオスな問いに至ります。

まだまだそんなレベルではありません、入り口にも達しないですが、最近は作りながら『自分はこれを作ることで何をしたいのか?』を問いながら作ったり図面引いたりできるようになってきました。面の太さをどれぐらいにするべきか、部材をどれぐらいの太さにするべきか?見た目だけで考えれば、ベターな答えは出てくると思います。『人の眼は錯覚を起こすので、ここの部材は太めの方が全体のバランスが良く見える』とか、そういう知恵は身に付けることはできると思いますが、それでは自分が何を作りたいのか?という問いに応えていないような気がします。

その部材の太さとか面はどうすべきかという問いに対する本当の答えは、自分自身にしか導き出すことはできません。そこから逃げないこと、これがとてもしんどい事なんです。『クッソ、どーでもいいやー』と言いたくなりますが、じーっと見つめ、じーっと考える。完成途中のソレと対峙しながら、何かを感じ取る。そうすると、自分の中の選択肢が幾つか出てくる。完成後にそれが運よくカッコよくても美しくても、やっぱりダサくても自分の中での達成感は非常にあるわけです。『あぁ、こういうことがやりたかったんだ』と。そうやって自分の中から湧いて出てきた、自分というフィルターからろ過されて出てきたものを、煮詰めて結晶化したものが製作品になるんだと思います。それが人に評価されるかされないか、売れるか売れないかは結果論であって、それが答えではありませんから。

ただ、売れないとどんどん怖くなるわけです。生活があからさまに困窮しますから、「何でもうちょっと売れるようにしなかったのか?」とか考えたりもします。魅力ある製作品を作るには、自分自身にとことん問うことから逃げないことだと思っていますが、完成したそれが売れるとは限りません。ただ、売れなかったとしても後悔はしないわけです。独立してから数点、作って後悔した制作品があります。いずれも共通して『売れたら量産できるような範囲で』という邪心が入り、全く何の魅力も無い製作品になってしまっているものたちです。そこに投じられた材料がかわいそうです。折角形にしてやるんだから、徹底的に対峙して問うことをしないと、結果満足しないということになります。自分もお客さんも。

最終的に、そのモノと自分が対話を重ねた結果生み出されたものは、お客さんに伝わる気がします。そうであろうがなかろうが、ものづくりは自分との対話というものが本質であり、それが製作品の個性になるのだと思います。評価や売り上げを意識してものづくりをすべきではない。そういう崇高な決意をしつつも、迷ったりうろたえたりしながら生きています。自分自身の弱さは実に愛おしいですからね。どうしても過保護になりそうになりますが、そこにムチ打って叩き起こせるかどうか。

木工屋(僕)は芸術家ではないですから、形作るということに現実的なアプローチで挑みがちです。特に僕はその傾向が強いです。頭でっかちですからね、遊びの要素が全く無いのです。実用本位のものづくりであり、生きる糧としての木工を自分の生業に据えていますので、売れなければ困るわけです。使いやすさや実用性、耐久性だけを考えれば、これまた答えが決まってきます。そこに自分自身の美意識をどう盛り込むのか、そこを自問自答してものづくりをしているつもりです。

行動して迷いながら見えてくること、わかったこと。それは希望になります。とことん落ち込むことも多々ありますが、実際、涙がにじむほど嬉しくなることもごく稀にあります。こんな激しい感情の起伏を感じられる仕事ができるなんて、なんと幸福なのだろうかと。

僕はこうして文章化することで、それを目で追いながら、脳に再度格納することで、形式的に自分は幸せであるということを摺り込んでいるのでしょう。先人はもっと行動し、もっと得て、もっと短時間で事を成し、僕のように感傷に浸る間もなく攻め続けたんだと思います。その情熱が年齢と反比例して減少していく怖さを気にしつつ、どこまで木工に情熱を燃やし続けられるだろう?もっと我武者羅に燃えなければならないはずだ、と焦ったりもします。

そんな涼しい夏の夜です。

それでは、また。

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レトロ家具シリーズのリリースを少し休みます

こんばんは、堂谷木工です。

『針葉樹で作る着色レトロ家具シリーズ』を育てていこうと意気込んでおりましたが、息が続きそうにないので(溺れかけ、アップアップです)、9月からはしばらく、正統派の広葉樹を使った純然たる一般的な家具を作ることにしました。小物も作らなければならないのですが、小物制作がなんとなく苦手です。

一通り、ダイニングテーブルからローボードなどを作ろうと思っています。在庫を抱えるのは非常に苦しいですし、材料費も広葉樹を使うとなると歩留まりも悪く、コストがかさみますが、価格を抑えてお得感のあるキレイ目系シャープな雰囲気の家具(昔はそれをやりたかったはずですが、どっかにすっ飛んでしまってました)を、丁寧に作ろうと思います。撮影時の備品(備品にしちゃあダメですけど)にもなりますし。

レトロ家具シリーズも、まだ入り口に入ったばかりで、数日前までこのまま続行するつもりでしたが、やはり一般家庭における、レトロ家具(しかも新品のレトロ家具、言葉が意味不明になっていますが。)を導入するのは、やはり土壌がまだ出来ていないと思うのです。簡単に言えばマニアックすぎるという感じです。本来は、どういう風に導入したら良いかというような提案を、リリース時にアピールできればお客さんにも何かしら伝わると思うのですが、現状ではマニアックな木製品を単発で発表しているだけのキワモノの存在で、ハンクラサイトでは全く相手にしてもらえません。このままでは首が締まる一方ですので、間口を絞るのではなく、多方面を少しづつ育てていくようにします。ただ、ネットでの販売先は少し整理しようと思っています。今は3社ハンクラサイトで同一商品を横並びに販売していますが、3社特色を使い分けようかと思っています。開業以前の制作品も含め、現在までの製作品の方向性が、かなりバラバラで、焦点が定まっていない感じで、訴訟力が散在してしまっていると感じました。

いっそのこと、一点一点のクオリティをもっと高めて、木工作家として発信するほうが可能性はありそうなものですが、当方はあくまで木工所としてのスタンスを維持していきたいと考えています。

それでは、また。

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制作品ページに小抽斗を追加しました

こんにちは、堂谷木工です。

本日は制作品のページに、新たに以下のアイテムを追加しました。8月の新作です。以下リンク先です。

杉のA4サイズ小抽斗

以下の販売先様サイトで詳細をご確認いただけます。

iichi 当方のshop

Creema 当方のshop

minne 当方のshop

宣伝ばかりですみません。宜しければご覧くださいませ。

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小抽斗完成

こんばんは、堂谷木工です。

今日小抽斗6台完成しました。明日正式に撮影します。

ちょっとpopすぎるというか、少しだけpopにしようとしたところ、ガチpopになってしまいました。さじ加減がまだ出来ません。しかし、面白い製作品になったと思います。まだヘタクソなところや、材料の見極めが出来ていなくて、反ったり膨らんだりしているものもありますが、問題ないレベルではあります。側板は杉の12ミリ厚で、吊り桟式引き出しにしていますが、吊り桟式だと、周囲ぐるりと裏板だけのシンプルな構造となり、組み立てや加工が楽ですが、強度的に、杉で吊り桟式の限界だろうなと感じました。抽斗の間に仕切り板を入れたほうが、全体の剛性も増しますし、手間はかかりますが、側板をもう少し薄くできるでしょうし、見た目的にも安定感があるような気がします。吊り桟式の、前板が連続して並ぶ姿は軽快で気に入っているのもありますが、抽斗のサイズを目一杯大きく取れる利点もあります。間に仕切り板が入ってしまうと、板の厚み分だけ引き出しの高さは低くなってしまいます。当方が制作した小抽斗は全て吊り桟式です。

今回も弁柄と松煙を用いました。今回は杉の美しさを知ってもらいたくて、蜜蝋ワックスで仕上げたクリア色仕様も作りました。美しい木目を着色で潰すのか?いいえ。着色によって木目が透けて見え、品のある雰囲気になります。

桧より杉の方が面白いですね。今度は松をつかってみようかと思います。抽斗に松を使う…、タブー的な感じですが、どんどんタブーを犯そうと思っております。ヤニ問題をどのようにクリアするか、楽しそうです。松の木目は杉以上にカッコイイです。しかも、目の粗い松を外側に使ったら面白そうです。(と、もうすでに次の小抽斗のことを考えて…)

それではまた。

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