制作など

こんばんは、堂谷木工です。

滑り台の依頼を受けていて、今作っている。滑走面の側板が太すぎる感じだが、小学生入学前のお子様たちに酷使されることを考えると、逆に足回りの方が細い印象で若干心配になってくる。

左右の側脚の角度が面倒くさいが、難しい制作ではない。ただ、全く気分が乗らない。昨日あたりからやっとエンジンがかかってきた感じ。

二度と作りたくない…。しかし、これも家具である。求められれば、作れるのであれば作ってあげるしかない。確かに、市販の樹脂製の原色滑り台のおもちゃよりはずっと良い。ただ、ウレタン仕上げにするつもりである。一応大入れの仕口を切って組んである。ただ今回は、ビスを数本打って補強した。何度も言うが、子供の遊び方は、大人の想像をはるかに超える荒っぽさであろう。この先何年使われるかわからないが、頑丈にはしておきたい。

8月も終わろうとしている。9月も以来の仕事をして、10月も少しだけ依頼の仕事をしたら、年末に向けて家具をバンバン作りたい。お仕事頂けるのは有り難い事であるが、堂谷木工の製品の制作が全くできないので心は複雑である。安定した収入よりも、自分の製作品をもっともっと出していくことを、少しでも早く進めたいからだ。しかし、依頼の仕事は勉強になる。

それではまた。

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材料の話など

こんばんは、堂谷木工です。

今は依頼を受けている家具などを製作中です。実用本位の現場で使われる什器的な家具にはラジアータパイン集成材を用いて、応接用家具には日本のアカマツを用います。先日アカマツを買いに、大阪の北部の製材所まで行って仕入れてきました。帰宅後計算すると、立米15万ぐらいでした。

木工を始める以前から、マツの木目が結構好きでした。ホームセンターで販売している角材などの松はベイマツ(正式名称ではないと思いますが)赤い色が強烈な感じですが、日本のアカマツは樹皮こそ赤いものの、材木自体はほんのりとオレンジがかった明るいさわやかな色で、木目も大人しいです。

今回、マツを本格的に使ってみるのですが、心配な事も多くあります。東大阪の当工房は、湿度が低めで、特に2階はカラッカラです。汚い話で恐縮ですが、当工房のトイレは2階にありまして、便器内の水量が蒸発してすぐに水位低下します。(漏れてはいません。)購入先の製材所は山のふもとで、丁度小川が流れる谷合にあり、材料は乾燥していると言ってもかなり水分多めだと思います。松を先日購入して少しでもシーズニングしておこうと思って2階に上げておいたら、購入時よりネジレ、干割れが増幅していました。困った感じです。松はネジレが強い木です。カラマツほどではないですが、アカマツも割れが出やすいようです。板モノ家具でマツの幅広で薄めの板は、ネジレを念頭に置いて制作しなければならないようです。それに、ヤニがどれだけ出てくるのか。施主さんのところでヤニ噴出地獄となるようだと、これは問題ですが、木材の脱脂はすべきはないと思います。開き直りではないですが、ヤニが出るのが普通と言いますか、健全と言いますか…。ゴニョゴニョとヤニ止めシーラー等を用いて塗装しなくても、使い続ければヤニがいい具合に家具のツヤを出して飴色になると思うのです。

当工房の方針として、なるべく国産木材(この国に生えている木)を使ってつくる事をモットーとしています。国内で安定して広葉樹を入手することが難しい(地方の小さな材木屋さんや製材所には、まだ蓄材があると思いますが、安定して確保できるかどうかはわかりません。)一軒一軒訪ねて回ることも大変です。(しかし、それをやっていこう、とも思っています。)国内大手の無垢材を用いた家具メーカーでは、材料集めは結構シビアになってきているはずです。海外からの輸入木材の価格も上がってきているはずですし、海外の輸出規制もあります。されど良材は年々世界レベルで減少しているはずですから、価格は上がっても質の落ちた材料を使わなければならい時代になりつつあります。

当工房が年に使用する木材なんて、2立米にも及びませんが、材料の確保は最近の課題です。杉や桧を活用していく方法は、なんとなくまとまってきましたが、やはりテーブルトップなどの硬質材料を欲しい場合、ちょっと力不足です。マツだとネジレやワレやヤニの問題はありますが、曲げには強いですし、脚モノにも使えます。そんな経緯で、マツを積極的に使っていこうかと思っています。年内に資金があればいいのですが、一度長野県や山梨県などの、カラマツの産地に出向いて、マツを取り扱う製材所に行こうかと思っています。そこで現場の声を聴く、これが一番です。長野県では戦後、カラマツの植林が盛んに行われたようで、今ごろ結構大径木の材料が出ているようです。上手く使うのは難しい材料のようですが、カラマツはアカマツ以上に木目がはっきりとして荒々しい雰囲気のようで、ぜひ使ってみたいです。

木材にもブームがあります。近年はブラックウォルナットでしょうか。もともと蓄材量の少ない樹種ですから、あと10年もすればブームがどうなるかわかりませんが、枯渇気味になるでしょう。確かにブラックウォルナットで作られた家具はカッコイイとは思いますが、僕はたぶん今後、使わないと思います。価格が高いとかよりも、使いたくない。日本人にとっての主食がお米であるように、日本人にとっての馴染みある木を使ってやっぱり作りたいです。国内消費の木材の70%ほどを輸入に頼っている日本、森林の多い国でありながら、矛盾した話です。流行りすたりで使われる木と、それで作られた家具がかわいそうとすら思います。まぁでも、個人の考え方は様々ですから。

その流行り廃りの『廃り』気味の木と言えば、欅でしょうか。欅の家具と聞くと、頭の中でどうしても座卓とか和家具がイメージとして出てきます。かわいそうに、流行りでもてはやされた反面か、今は敬遠されているなんて。先日訪れた針葉樹中心のその製材所にも、欅はたくさんありました。当工房は欅もバンバン使っていこうかと思っています。というのも、小さな製材所や材木店で在庫が結構あると思います。和チックになるかどうかは、木目の使い方次第ではないかと思います。欅の木目に合う形があるはずなんです。当方、欅も結構好きです。制作中は欅の研磨粉などを吸い込むとクシャミがひどいですが、あの香りは結構好きです。

お金ができれば、まず材料を買う。何においても材料が無いと話になりませんからね。超一流の材料は当木工所では使えないですが、扱いにくい素材などをどんどん活用できればと思います。来年は販売活動を増やしながら、各地の製材所巡りをしたいなぁと思います。

ではまた。

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生み出すこと

涼しさの中に感じる寂しさが好きです。

こんばんは、堂谷木工です。

涼しい初秋の空気に、若干身体が置いてきぼりのようです。気まぐれな天候に振り回される人間。

最近の工房では、小抽斗を終えてしばらく図面引きをずーっとやっていました。今日から依頼を受けているお仕事を開始しましたが、イマイチ調子が上がりません。身体がダルイです。

自分の製作品は、もう何度図面を引き直したことやら。ある程度パターン化した家具を考えていて、ローボードやロングデスクなど、4点ほど図面を書き溜めましたが、4点のコンセプトが全くボヤけてまとまらず、イジリにイジっていましたが、『きちんとした構造とサッパリした見た目』を意識しつつ、スタイリッシュなものを(どっちみちそんなものを生み出すセンスはありませんが)狙いすぎると、受け入れられにくいと思い、その辺のさじ加減で苦労しました。

結局、部材の太さとか棚位置とかデザイン云々をいじくりまわしても、何も魅力のあるものは生まれないんだなぁと痛感したこの数日。明確な『こういうモノを作るんだ!』という、ゆるぎない強い想いがあれば、部材が5ミリ太かろうが面が2分だろうが4分だろうが大した問題ではないような気がします。もちろん、見た目の印象は結構変わってくるのですが、そういう問題ではないような気がします、木製品の魅力って。

人間本来のその人の持つ魅力が人を引き付けるように、カネにモノ言わせて人をひきつけたり、着飾っても無意味なのと同じだと思うのです。美人、カワイイ、カッコイイ、ブサイク、ダサい。僕も20代半ばまでぐらいは、そういう見た目にすごくこだわっていた気がします。もちろん見た目が良いに越したことはありませんが、中身の無い、何も感じられない美しいもの、カッコイイものに対する虚しさや残念さを感じるようになってきました。とか言いつつも、自分自身も未だに美しさの奴隷から抜けられないですが、徐々に『そうじゃない、内面から湧き出してくるものを形にすることの重要さ』を意識するように、少しだけなってきました。しかし、これはとてつもなく難しく苦しい作業だと思います。自分に絶えず問い続けることになります。究極的には、『なぜ作るのか?』という、カオスな問いに至ります。

まだまだそんなレベルではありません、入り口にも達しないですが、最近は作りながら『自分はこれを作ることで何をしたいのか?』を問いながら作ったり図面引いたりできるようになってきました。面の太さをどれぐらいにするべきか、部材をどれぐらいの太さにするべきか?見た目だけで考えれば、ベターな答えは出てくると思います。『人の眼は錯覚を起こすので、ここの部材は太めの方が全体のバランスが良く見える』とか、そういう知恵は身に付けることはできると思いますが、それでは自分が何を作りたいのか?という問いに応えていないような気がします。

その部材の太さとか面はどうすべきかという問いに対する本当の答えは、自分自身にしか導き出すことはできません。そこから逃げないこと、これがとてもしんどい事なんです。『クッソ、どーでもいいやー』と言いたくなりますが、じーっと見つめ、じーっと考える。完成途中のソレと対峙しながら、何かを感じ取る。そうすると、自分の中の選択肢が幾つか出てくる。完成後にそれが運よくカッコよくても美しくても、やっぱりダサくても自分の中での達成感は非常にあるわけです。『あぁ、こういうことがやりたかったんだ』と。そうやって自分の中から湧いて出てきた、自分というフィルターからろ過されて出てきたものを、煮詰めて結晶化したものが製作品になるんだと思います。それが人に評価されるかされないか、売れるか売れないかは結果論であって、それが答えではありませんから。

ただ、売れないとどんどん怖くなるわけです。生活があからさまに困窮しますから、「何でもうちょっと売れるようにしなかったのか?」とか考えたりもします。魅力ある製作品を作るには、自分自身にとことん問うことから逃げないことだと思っていますが、完成したそれが売れるとは限りません。ただ、売れなかったとしても後悔はしないわけです。独立してから数点、作って後悔した制作品があります。いずれも共通して『売れたら量産できるような範囲で』という邪心が入り、全く何の魅力も無い製作品になってしまっているものたちです。そこに投じられた材料がかわいそうです。折角形にしてやるんだから、徹底的に対峙して問うことをしないと、結果満足しないということになります。自分もお客さんも。

最終的に、そのモノと自分が対話を重ねた結果生み出されたものは、お客さんに伝わる気がします。そうであろうがなかろうが、ものづくりは自分との対話というものが本質であり、それが製作品の個性になるのだと思います。評価や売り上げを意識してものづくりをすべきではない。そういう崇高な決意をしつつも、迷ったりうろたえたりしながら生きています。自分自身の弱さは実に愛おしいですからね。どうしても過保護になりそうになりますが、そこにムチ打って叩き起こせるかどうか。

木工屋(僕)は芸術家ではないですから、形作るということに現実的なアプローチで挑みがちです。特に僕はその傾向が強いです。頭でっかちですからね、遊びの要素が全く無いのです。実用本位のものづくりであり、生きる糧としての木工を自分の生業に据えていますので、売れなければ困るわけです。使いやすさや実用性、耐久性だけを考えれば、これまた答えが決まってきます。そこに自分自身の美意識をどう盛り込むのか、そこを自問自答してものづくりをしているつもりです。

行動して迷いながら見えてくること、わかったこと。それは希望になります。とことん落ち込むことも多々ありますが、実際、涙がにじむほど嬉しくなることもごく稀にあります。こんな激しい感情の起伏を感じられる仕事ができるなんて、なんと幸福なのだろうかと。

僕はこうして文章化することで、それを目で追いながら、脳に再度格納することで、形式的に自分は幸せであるということを摺り込んでいるのでしょう。先人はもっと行動し、もっと得て、もっと短時間で事を成し、僕のように感傷に浸る間もなく攻め続けたんだと思います。その情熱が年齢と反比例して減少していく怖さを気にしつつ、どこまで木工に情熱を燃やし続けられるだろう?もっと我武者羅に燃えなければならないはずだ、と焦ったりもします。

そんな涼しい夏の夜です。

それでは、また。

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レトロ家具シリーズのリリースを少し休みます

こんばんは、堂谷木工です。

『針葉樹で作る着色レトロ家具シリーズ』を育てていこうと意気込んでおりましたが、息が続きそうにないので(溺れかけ、アップアップです)、9月からはしばらく、正統派の広葉樹を使った純然たる一般的な家具を作ることにしました。小物も作らなければならないのですが、小物制作がなんとなく苦手です。

一通り、ダイニングテーブルからローボードなどを作ろうと思っています。在庫を抱えるのは非常に苦しいですし、材料費も広葉樹を使うとなると歩留まりも悪く、コストがかさみますが、価格を抑えてお得感のあるキレイ目系シャープな雰囲気の家具(昔はそれをやりたかったはずですが、どっかにすっ飛んでしまってました)を、丁寧に作ろうと思います。撮影時の備品(備品にしちゃあダメですけど)にもなりますし。

レトロ家具シリーズも、まだ入り口に入ったばかりで、数日前までこのまま続行するつもりでしたが、やはり一般家庭における、レトロ家具(しかも新品のレトロ家具、言葉が意味不明になっていますが。)を導入するのは、やはり土壌がまだ出来ていないと思うのです。簡単に言えばマニアックすぎるという感じです。本来は、どういう風に導入したら良いかというような提案を、リリース時にアピールできればお客さんにも何かしら伝わると思うのですが、現状ではマニアックな木製品を単発で発表しているだけのキワモノの存在で、ハンクラサイトでは全く相手にしてもらえません。このままでは首が締まる一方ですので、間口を絞るのではなく、多方面を少しづつ育てていくようにします。ただ、ネットでの販売先は少し整理しようと思っています。今は3社ハンクラサイトで同一商品を横並びに販売していますが、3社特色を使い分けようかと思っています。開業以前の制作品も含め、現在までの製作品の方向性が、かなりバラバラで、焦点が定まっていない感じで、訴訟力が散在してしまっていると感じました。

いっそのこと、一点一点のクオリティをもっと高めて、木工作家として発信するほうが可能性はありそうなものですが、当方はあくまで木工所としてのスタンスを維持していきたいと考えています。

それでは、また。

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制作品ページに小抽斗を追加しました

こんにちは、堂谷木工です。

本日は制作品のページに、新たに以下のアイテムを追加しました。8月の新作です。以下リンク先です。

杉のA4サイズ小抽斗

以下の販売先様サイトで詳細をご確認いただけます。

iichi 当方のshop

Creema 当方のshop

minne 当方のshop

宣伝ばかりですみません。宜しければご覧くださいませ。

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小抽斗完成

こんばんは、堂谷木工です。

今日小抽斗6台完成しました。明日正式に撮影します。

ちょっとpopすぎるというか、少しだけpopにしようとしたところ、ガチpopになってしまいました。さじ加減がまだ出来ません。しかし、面白い製作品になったと思います。まだヘタクソなところや、材料の見極めが出来ていなくて、反ったり膨らんだりしているものもありますが、問題ないレベルではあります。側板は杉の12ミリ厚で、吊り桟式引き出しにしていますが、吊り桟式だと、周囲ぐるりと裏板だけのシンプルな構造となり、組み立てや加工が楽ですが、強度的に、杉で吊り桟式の限界だろうなと感じました。抽斗の間に仕切り板を入れたほうが、全体の剛性も増しますし、手間はかかりますが、側板をもう少し薄くできるでしょうし、見た目的にも安定感があるような気がします。吊り桟式の、前板が連続して並ぶ姿は軽快で気に入っているのもありますが、抽斗のサイズを目一杯大きく取れる利点もあります。間に仕切り板が入ってしまうと、板の厚み分だけ引き出しの高さは低くなってしまいます。当方が制作した小抽斗は全て吊り桟式です。

今回も弁柄と松煙を用いました。今回は杉の美しさを知ってもらいたくて、蜜蝋ワックスで仕上げたクリア色仕様も作りました。美しい木目を着色で潰すのか?いいえ。着色によって木目が透けて見え、品のある雰囲気になります。

桧より杉の方が面白いですね。今度は松をつかってみようかと思います。抽斗に松を使う…、タブー的な感じですが、どんどんタブーを犯そうと思っております。ヤニ問題をどのようにクリアするか、楽しそうです。松の木目は杉以上にカッコイイです。しかも、目の粗い松を外側に使ったら面白そうです。(と、もうすでに次の小抽斗のことを考えて…)

それではまた。

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