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ボヤキ

もう、蝉が鳴いてます。梅雨の最後に降った憎らしいほどの豪雨が嘘のように、夏本番がやってきました。自然を憎んでもしょうがないですが、そのような地球環境にしてしまったのは、間違いなく人間でしょう。過去の誰をも憎むべきではないとしても、つくづく、未来を見通せない人間の愚かさに(自分の事に置き換えれば、尚更)無力感というか、ウンザリします。結局、今この一瞬に何をすべきか、そこに真面目に向き合い続ける執念とパワーを身に付けなければならないと、肝に銘じて日々生きなければなりません。

こんばんは、堂谷木工です。

先日アップしたレトロな本棚は、評価が厳しいようですね…。反応が無いです。当方としては雰囲気がシブくて結構お気に入りだったりするんですが、肝心の反応の方がシブいようではどうにもこうにも…。世の中で求められているものと、当方が『好きな』ものの方向は、どうやら違うようです。その辺をどのようにコントロールするか。独りよがりはただのエゴや趣味になってしまいますから。と言っても、正直へこみます。

今はめげずに小さな収納家具を考案中で、今週末ぐらいから着手するつもりです。今月中にはアップしたいです。やり続ける事を止めてはいけません。

本日夕方、関西ローカルニュースで、奈良県の曽爾村の、漆生産の再興の取り組みについて報道していました。何でも平城京時代には、都の漆器の生産拠点とされていた地域のようです。現在国産漆の生産量は、国内消費の2%未満ほどだそうで、ほとんどが中国製の漆だそうです。国産漆のほとんどが恐らく、岩手県産だったように記憶しています。

当方は、未だ漆を用いた制作品は作っていませんが、ゆくゆくは挑戦していきたいと思います。漆の質感は何物にも代えがたいものだと思います。歴史が証明する漆の良さですが、当方はまだその本当の良さを知りません。自分で漆器は使っていますが、残念ながらその漆器(欅のお椀)は、木地に虫食いがある(虫食い部分は白太)でしたし、塗りもヒビだらけ、扱いが悪いからだ、と言われるかもしれませんが、本来きちんと木地を仕上げて漆を丁寧に何度も重ねれば、とても強靭な塗膜になるそうです。大量生産、安価な仕事が漆器そのものの価値を下げるような事態になっている一面もあると思います。

知っていてコスト削減や手間を惜しんで手抜きすることは、結局自らの首を絞めます。下手なりにでも『きちっとした仕事をする』というのは、見ればわかるものだと思います。当方の工房を例に挙げると、例えば総制作時間が3時間変わると、価格も数千円変わってきます。当方は、制作費を設定する際の土台となる作業時間のマネジメントをシビアに行っており、5分単位で計算しています。(結局、端数は切り捨てしますが…。)当工房で3時間の時短ができたとすれば、それは作業工程を一つ抜くような作業内容にしないと厳しいです。

『時間を減らすには、この成形を省略するか…、2つの部材を1つで済ますか…』というような、価格を下げて制作品をどんどん簡略化すれば価格も下げられます。でもそれは、誰だってやることができます。安価でパパっと作ったものが世の中に溢れて、それで良いのでしょうか?『安かろう悪かろう(それなり)』という言葉は、当方が思うに、木工では使ってはならない言葉のように思います。安いのも高いのも、作り手の勝手ですが、それを受け取る人に対して『安いのだから、それなりの出来だよ、我慢してね』というのは、全く身勝手な言い訳です。まぁ、そういう個人の作り手(趣味レベルからプロを名乗る人たちの間にも)いらっしゃいますが、少なくともハンドメイト出品サイトでそのような文言を平気で書いている作り手さんを見るとため息が出ます。『個人作品に付きノークレーム、ノーリターンで』など、それを売って利益を得る以上、それが数百円であっても、責任を持つことは当然であると思うのですが…。

ちょっとボヤキが入ってしまいました。

それでは、また。

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